長崎地方裁判所佐世保支部 昭和31年(わ)141号 判決 1958年9月12日
被告人 稗田豊一
主文
被告人を懲役一月及び罰金二千円に処する。
右罰金を完納することができないときは金二百円を一日に換算した期間被告人を労役場に留置する。
未決勾留日数中二十日を右懲役に、その残余日数中一日を金二百円に換算して右罰金額に満つる迄の日数を右罰金に算入する。
但し、本裁判確定の日より一年間右懲役の執行を猶予する。
理由
(罪となるべき事実)
被告人は飲酒酩酊して
第一、昭和三十一年四月二十五日午前一時三十分頃、友人数名と共に、長崎県壱岐郡郷の浦町本町壱岐交運本町営業所バス待合所に到り、同所の荷物置台上にこれ亦酔うて熟睡中の下村光春(当四十年)を認むるや、ふざけ気を起し、その枕許に在りたる同人所有の風呂敷包中より、紙袋入煎餠若干(時価金百円位)を窃取し、
第二、前記犯行の暫らく後、被告人の悪戯で目覚めた下村光春が憤慨し始めて、双方口論となり一団となつて移動するうち同町前下る町山本運動具店隣横山方前附近路上において、被告人は遂に激昂した下村光春からその場に組敷かれた際同人の左手背に咬みつき、因つて同部に休養一週間を要する小咬傷を与えた、
ものである。
(証拠の標目)
右の事実は
一、司法警察員作成の現行犯人逮捕手続書の記載
一、司法警察員作成の差押調書(緑茶白色小縞のジャンパー一枚の押収)の記載
一、司法警察員作成の領置調書(煙草ケース一個の領置)の記載
一、下村光春、山川政光(但し謄本)、原田源一(但し謄本)、竹原徳兼(二通但し何れも謄本)、土谷貞子、小島志津子、小島兼光、長田貞吉の司法警察員に対する各供述調書の記載
一、下村光春、山川政光、原田源一、竹原徳兼、土谷貞子、長田貞吉、小島志津子の検察官に対する各供述調書の記載
一、第二回公判調書中証人山川政光、同竹原徳兼、同下村光春の各供述記載
一、受命裁判官のなした証人原田源一に対する尋問調書の記載
一、証人富山兼継の当公廷における供述
一、当裁判所のなした証人下村光春(昭和三十二年三月十九日附及び同年十月十四日附)、同竹原徳兼、同山川政光、同小島兼光、同富山秀夫及び同小島志津子の各尋問調書の記載
一、司法警察員作成の実況見分調書の記載
一、当裁判所が昭和三十二年三月十九日、同月二十日及び同月二十一日になした各検証調書の記載
一、被告人の司法警察員及び検察官に対する各供述調書の記載
一、被告人の当公廷における供述
一、押収にかかる煙草ケース一個(証第二号)、ジャンパー一枚(証第三号)及び下駄片方(証第四号)の各存在
を綜合してその証明十分である。
(法律の適用)
法律に照らすに被告人の所為中窃盗の点は刑法第二百三十五条に、傷害の点は同法第二百四条罰金等臨時措置法第二条第三条に各該当するが、以上は刑法第四十五条前段の併合罪であるので傷害罪については所定刑中罰金を選択し、同法第四十八条第一項に依り所定刑期並びに罰金額の範囲内において被告人を懲役一月及び罰金二千円に処し、右罰金を完納することができないときは、同法第十八条に依り金二百円を一日に換算した期間被告人を労役場に留置することとし、同法第二十一条に依り未決勾留日数中二十日を右懲役に、その残余日数中一日を金二百円に換算して右罰金額に満つる迄の日数を右罰金に算入し、なお犯情に依り右懲役については同法第二十五条第一項第一号に依り本裁判確定の日より一年間その執行を猶予することとし訴訟費用は刑事訴訟法第百八十一条第一項但書に依り全部被告人に負担させないこととする。
(訴因に応ずる犯罪事実を認定し得なかつた理由)
本件起訴状記載の公訴事実は「被告人は、原田源一、竹原徳兼と共謀のうえ、昭和三十一年四月二十五日午前一時三十分頃長崎県壱岐郡郷の浦町本町バス停留所待合室において、下村光春(当四十年)が同所に就寝中を奇貨として、風呂敷包(現金四千円、郵便貯金通帳一冊、恩給証書、戦傷病者証明書、書籍五冊その他三点在中)を窃取逃走中を被害者より発見され、同郡郷の浦町前下る町浜田商店前道路附近において、返還を求められるや、同所においてその返還を拒ぎ、且逮捕を免れるため被害者に殴る蹴る等の暴行を加え、因つて治療一週間を要する傷害を与えたものである。」というにあつて罪名は強盗傷人、罰条は刑法第六十条第二百四十条に該当する、というにある。本件公訴事実につき認定した犯罪事実は、前記の如く右訴因に包含されてはいるが、これとは異るものである。そこで右訴因に応ずる犯罪事実を肯定し得なかつた理由について、当裁判所の認定した被告事件並びにこれに関聯する事実の概要、証拠及び法律上の判断の概要を左に説明する。
一、証拠に依つて認定した事実の概要
(イ) 被告人は昭和三十一年四月二十四日午後六時三十分頃勤先の前記郷の浦町本町所在の平田精米所の仕事を終えて、同僚横山重夫等と飲酒し、酩酊して縁辺に当る山川政光を伴い、雨中をいとわず江戸屋、対馬屋、丸屋(通称滅法界)等の特殊飲食店を素見して廻り、同日午後十二時頃右丸屋で富山兼継、高城正弘、原田源一及び竹原徳兼の一団と出逢つた。
(ロ) 右富山等一行四名は、翌二十五日午前零時三十分頃相連れて丸屋を出て、前記本町附近の特殊飲食店小春を素見した後、前記壱岐交運会社本町停留所の待合室に赴き休憩した。
(ハ) 折柄同所には、飲酒酩酊した下村光春が郵便貯金通帳、恩給証書、書籍等在中の青色風呂敷包と、菓子、煎子、うどん等在中の赤色風呂敷包を携え、飲み残しの焼酎約五合在中の一升瓶を枕元に置いて、手荷物台上に横になつて熟睡していたので、富山が右焼酎入一升瓶を持ち来り、これを携えて再び四名相連れて同所を立ち出で、前記前下る町を通り、その途すがら富山、高城、原田等は右焼酎を瓶から口飲しながら昭和橋の方へ赴いたが三島パチンコ店附近で富山、高城と別れた原田、竹原の両名は前下る町を本町の方へと引き返していた。
(ニ) 他方丸屋に残つていた被告人と山川も雨が止んでいたので同日午前一時頃相連れて丸屋を立ち出で、自宅へ帰るべく本町を経て前下る町を今西薬局前迄来た時、前記の原田及び竹原の両名と行き合つた。
(ホ) その際原田及び竹原から「停留所に風呂敷包を持つたのが寝ていたろうが、行つて見よう来い」と誘われるまま被告人は酔余緊張を欠いだ悪戯心から好奇心に駆られてこれに応じ、山川を伴つて、原田、竹原の両名に従い、四名相連れて元来た方へと引き返えし、途中原田が被告人に対し「お前先に行つて風呂敷に何が入つているか見てみろ」と言うので、被告人は一足先に前記停留所に赴いた。
(ヘ) 被告人は前記の如く台上に寝ている下村光春に対し「起きんな起きんな」と声をかけながら揺つていたが、同人は一向に目を覚ます様子がなかつたので、風呂敷包に手をかけるや紙袋入の煎餠を見つけたので、皆にも食べさせ又自己も食べようと考えてこれを取り出し、同所の長椅子に寝そべつている原田等三名の所へ持つて行き、右煎餠を同人等と共に食べてしまつた。(此の行為が窃盗に該当することは多言する迄もない。)
(ト) 被告人は更に下村光春の傍へ行き、同人の体を何度も揺つて起したところ、これに目覚めて同人が起き上つたので、山川はいち早く同所を飛出して前下る町を浜口商店附近迄走り、からかい気分の強かつた被告人、原田、竹原の三人は右停留所から少し離れた種田橋附近迄立ち退いたが、同所で立ち止つて下村の様子を窺い、同人をからかいに再び停留所の方に引き返して下村の傍に行き、山川も引き返してその近くまで来たが、下村が焼酎を取られたいまいましさから「何で人の物を盗るか」と難詰し出したことから口論となり、言い争いながら前下る町を南の方に歩くうち早くも山川は逃げ出して同町秋月時計店附近迄走り去り、下村が次第に憤激の度を高める様子に、同人の剣幕を恐れた原田、竹原の両名は山本運動具店附近で遂に逃げ出し、これに刺戟された下村が矢庭に被告人に襲いかかつて右山本運動具店の隣横山方前附近で被告人を路上に組み敷いた。
(チ) 被告人は下村から逃れようとして、組敷かれたまま[足宛]いたが同人が力にまかせて押えつけているので、容易に起き上ることができなかつたが、その頃気配を察して引き返して来た竹原が被告人を救うため下村を殴り始め、かなわぬと見た被告人は下村の左手背に咬みつき、同人が防戦のためにひるんだ隙に乗じて起き上つたが、その時には穿いていた下駄も既に脱げて跣足になつて居り、下村がなおも被告人のジヤンバーを掴まえて逃すまいとするので、同人の手を振り離そうとする拍子に右ジヤンバーが脱げ、その機会に被告人は下村から逃れて、竹原と共に秋月時計店附近に行き、同所に居た山川に会つた。
(リ) 被告人は下村からジヤンバーを取り返すべく、同人の居る同町元九州相互銀行跡前附近迄引き返して行き、同人にジヤンバーの返還を求めて拒まれていたが、被告人がジヤンバーを奪われたことを知つた原田、竹原の両名も取り返しに来て、又も下村と言い争を始め、前下る町を新川橋の方へ一団となつて移動するうち、被告人はその隙に乗じて素早く下村の手からジヤンバーを抜き取るや否やその場を退いて本町の方へ行つた。
(ヌ) 残つた原田、竹原の両名は、下村の執拗な態度に立腹して同町殿川豆腐店前附近等で再び同人と殴り合いを始め、遂に下村が「助けてくれ」と悲鳴をあげる程殴る蹴る等の暴行を加えたが、間もなく原田の父が近くまで来て「源一」と呼んだので、驚いた原田が竹原を促して暴行を止め、相携えて走り出した折、下村が附近の路上に落していた前記青色風呂敷包が原田の足に触れたので、同人がこれを拾い取つて竹原と共に逃げ去り、郷の浦町百二十二番地の四十九江崎材木店前附近に至り、外燈の明りで右風呂敷包の在中物を見たうえ、これをその場で傍の河中に投げ捨てた。
(ル) 以上の暴行に因つて下村は、休養一週間を要する頭部、顔面その他全身の打撲傷、顔面の小裂傷、左手背の小咬傷の傷害を蒙つた。
二、前記の訴因中重要な問題点に関する証拠並びに法律上の判断の概要
(A) 被告人、原田源一及び竹原徳兼が共謀したとの点について被告人の司法警察員及び検察官に対する各供述調書の記載に依れば、被告人が前下る町山本運動具店前附近で原田か竹原からか風呂敷包を盗つて来いと言われたので、これに応ずる気になつた旨を述べ、恰も原田等と風呂敷包窃取の共同謀議を行つたかの如き自白をなして居り、竹原の司法警察員及び検察官に対する各供述調書の記載も被告人の右自白に照応するところであるが、原田及び山川の司法警察員及び検察官に対する各供述調書の記載はこれと趣旨を異にしている。然るに、山川の司法警察員及び検察官に対する各供述調書に依るも、被告人が事件当夜相当高度に酩酊していた事実が明かであり、且つ被告人は司法警察員の取調に対して、所々しか覚えていない旨大部分の記憶の脱失を訴えている位で、被告人の供述の内容については慎重な検討を必要とする。又原田竹原の両名は終始殆んど行動を共にしていると認められるにも拘らず他の重要な供述部分においても相互に矛盾するところが多いうえ特に竹原の司法警察員に対する供述調書(二通共)は他の供述部分において、当夜の天候明暗の度合(昭和三十二年三月二十一日午前一時より二時に至る検証の結果等に依る)に依れば、殿川豆腐屋附近において、物の色彩は勿論物の存在さえも容易に識別し難い状況にありながら風呂敷包の色彩を明確に見極めている如き供述をなして居る等佯りの多いことが窺えるので、同人の供述内容はこれ又慎重な検討を要するところである。然るに山川は本件犯行の前後を通じて被告人の酩酊を気遣つてその行動を見守つて居り、而も事件については煎餠を食べた外は常に傍観者の立場にあつて被告人等の言動を直接見聞しているので、同人の供述には比較的高度の客観性が期待され、全般的に言つて同人の供述内容は被告人の供述に比しては勿論原田、竹原の供述と比較しても遙かに信用度が高い。而して前記の点に関しては山川の供述するところと原田の供述するところとは互に照応して矛盾が無い。結局被告人の前記自白及び竹原の前記供述記載は遽かに措信し難く、その余の証拠(原田、竹原、山川が証人として供述したところをも含めて)を以てしても、窃盗を共謀した事実は認め難く又暴行の共謀に至つては、これを認め得る証拠は全く存在しない。
(B) 現金四千円、郵便貯金通帳一冊、恩給証書、戦傷病者証明書、書籍五冊、その他三点在中の風呂敷包を窃取したとの点について、
下村光春の司法警察員に対する供述調書では、停留所で三、四人居た男の中の一人が下村の顔を殴つたり、蹴つたり、手に咬みついたりして青色風呂敷の包を盗つて行つた旨を述べ、下村の検察官に対する供述調書では、青色風呂敷の包を握つていた男が引たくつて行つた旨を述べて居り、而も右各供述調書の他の供述記載部分に依れば、それ以後右青色風呂敷の包は下村の手に還つていない趣旨が窺える。然るに第二回公判調書中証人下村の供述記載では(停留所で青色風呂敷の包を暴力を以て奪われた旨供述した後)浜口商店前で三人から殴られたり蹴られたりした時、風呂敷包は犯人が一つ宛所持し、赤色風呂敷包をその場に落した旨を述べ、昭和三十二年三月十九日附証人下村の尋問調書の供述記載では、(三、四人の若い男が風呂敷包を持つて逃げた旨述べた後)殴られたり、蹴られたりした時青色風呂敷包を取り返したが再び浜口商店附近で殴られたり蹴られたりしてジヤンバーと共に奪い取られた旨を述べて居る。而して原田の司法警察員及び検察官に対する各供述調書の記載は、原田は被告人が下村から桃色風呂敷包を盗ろうとするのを種田橋から見ていた旨を述べ、竹原の司法警察員に対する供述記載では、被告人が下村の赤い風呂敷包に手をかけていた旨を述べて居り、山川の司法警察員に対する供述調書の記載に依れば下村と原田、竹原、被告人等との殴り合いになつた原因について司法警察員の質問に対し、被告人が風呂敷包を取つたからであろう旨想像的供述をなして居り、これ等の各証拠に依れば一応被告人が青色風呂敷包か、或は赤色風呂敷包かを窃取又は強取した事実を肯認し得るもののようではあるが、然し山川の司法警察員及び検察官に対する各供述調書、土谷貞子の司法警察員及び検察官に対する各供述調書、並びに実況見分調書の各記載及び下駄片方の存在を綜合すると前記(ト)に説明の如く、被告人原田及び竹原の三人は下村が目を覚した直後、一旦種田橋附近迄退いたが、再び停留所の被害者の方に近より、同所で下村が「何で人の物を盗るか」と難詰し出したことから(此の難詰の内容は風呂敷包の窃取の事実は無かつたこと、及び現行犯人逮捕手続書の記載―下村は警察に焼酎と風呂敷包の被害を申告している―とを綜合すれば、下村は被告人等に対し焼酎の窃取の事実について詰問していることが明かである)口論を始め、口争いを続けながら四人一団となつて歩いて前下る町山本運動具店前附近迄移動したことを認めるに足り右認定に反する下村の司法警察員及び検察官に対する各供述調書及び証人下村を尋問せる各調書の記載、原田及び竹原の司法警察員及び検察官に対する各供述調書及び証人原田及び同竹原の尋問を記載せる各調書の記載中当該部分はいずれも措信しない、訴因に示されているが如く果して被告人が風呂敷包を窃取していたとすれば、右の如く被害者から何で人の物を盗るかと難詰されながらも図太く同人と言い争うが如き態度は小心者らしく見受けられる被告人のよく為し得るところであろうかと疑念の生ずるところである。更に前記土谷貞子及び山川の司法警察員及び検察官に対する各供述調書、実況見分調書、被告人原田、竹原の司法警察員及び検察官に対する各供述調書、証人原田、同竹原、同山川の尋問を記載せる各調書の各記載を綜合すると前記(ト)及び(チ)に説明の如く山本運動具店附近において原田、竹原の両名が逃げ出した直後同店隣りの横山方前附近で被告人は下村に組敷かれ、そこえ被告人の急を救いに来た竹原が下村を殴り、被告人が下村に咬みつく等してジヤンバーを同人の手に残して跣のまま而も徒手で山川の所へ来た等の事実を認めるに足る。果して被告人が風呂敷を一旦窃取して所持していたと仮定すれば、その風呂敷包は右横山方前附近で被告人の手から離れていなければならない。而して原田の司法警察員に対する供述調書の記載に依れば、原田は殿川豆腐屋附近の路上で青色風呂敷包を拾い取つて居る。然るに下村は前記の如く一旦奪取された風呂敷包を奪い返したが浜口商店附近で再び奪い取られた旨述べているけれども此の供述は、原田、竹原、被告人等の前記各供述調書の記載等と比照してたやすく措信し難いところであり、他に風呂敷包を横山方前附近から殿川豆腐屋前附近迄移動させた事実を認め得る証拠は無いので、右の点においても解き難い疑問が生じるのを否み得ない。
下村の前記各供述調書及び証人下村の尋問を記載した各調書の記載を通覧すれば最初よりも終へと却つて日を追うに従つて益々供述内容は明確の度を加えている如き観があり、而も各所に矛盾と誇大な供述の跡も見えて、同人の供述に全幅の信を措くことはできない。又原田の前記供述については事件当夜が雨上りの天候であつたことや、当裁判所が昭和三十二年三月二十一日午前一時より同二時迄なした検証調書の記載及び実況見分調書の記載を綜合して認め得る事件当夜の事件現場等の明暗の度合を以てしては、種田橋から停留所内手荷物置台上にあつた風呂敷包の色を識別することは極めて困難であるばかりでなく、前記認定の事実に依つて明かな如く原田が種田橋上から被告人の行動を眺めていた事実は肯定し難い。更に被告人の司法警察員に対する供述調書の記載に依れば、被告人は赤い風呂敷包を盗つてぶらぶら提げながら帰つて居た旨述べているが、同人の供述は前記の如く記憶に粗大な欠陥があるのでたやすく措信し難いところであり又山川の前記供述は単なる想像的供述に過ぎないので、結局被告人が風呂敷包を窃取した事実については確実な証明はない。而して前記の如く原田が殿川商店前附近の路上で青色風呂敷包を拾い取つているが、これは被害者も同所で原田等と闘争しているので、被害者がそれ迄所持していて同所で闘争の際路上に落したものと推断するの外は無い。結局被告人が窃取したものは前記(ホ)に説明の如く紙袋入煎餠一袋のみに止まる。
(C) 逃走中の被害者より云々浜田商店前道路附近において返還を求められるや、その返還を拒ぎ且つ逮捕を免れるため、殴る、蹴る等の暴行を加えた、との点について
被告人が、風呂敷包を窃盗した事実は肯定し得ないこと前段説明のとおりであり、当然その返還を拒ぐこともあり得ないから、問題は逮捕を免れるために暴行を加えたか否かにある。ところで窃盗が逮捕を免れるため暴行を加える行為は刑法第二百三十八条の規定に該当するいわゆる事後強盗であるが、犯人が窃盗の身分を有するがためには当該窃盗の犯行が現行犯の状態にあることを必要とし、而も逮捕を免れるための暴行は窃盗現場において若しくは現行犯人として引続き追跡されている機会に行われることを必要とすると言うべく、かかる暴行が準現行犯として逮捕されようとする場合に加えられても原則として本罪を構成しないと解するのを相当とする。かような観点から本件を考察すると、被告人が煎餠を窃取したことは前記(ヘ)に説明のとおりである。前記(ヘ)及び(ト)の説明に依つて明かな如く、被害者下村が被告人等を認めたのは、被告人等が煎餠を食べ尽した後なおも被告人が悪戯心から被害者を揺り起したため、これに被害者が目覚めた直後であつて、その段階においてすら現に罪を行い又は行い終つた際に発覚したものではないから、被告人を窃盗の現行犯と認定することはできない。更に前記(ト)に説明の如く、下村が目を覚ました後被告人、原田竹原の三名は一旦種田橋迄遠のいたが、更に下村の傍に近ずいて行き、同人と口論を続けながら山本運動具店前附近迄歩きながら移動し、同所で原田、竹原が逃げ出した後、これに刺戟された下村がその隣り横山方前附近で被告人を組み敷くに至つた一連の過程からは、被告人が逃走しようとした形跡の認むべきものがなく、被告人を窃盗の準現行犯と認めることはできないので、前記原則に対する例外を考慮する余地すらもない、従つて被告人が前記窃盗の身分を有していたことを認めるべき理由に乏しい。然るときは、被害者下村には被告人を逮捕し得る正当な権限もなく、仮令その逮捕から免がれるために被告人が暴行を加えたとしても、単純暴行罪乃至傷害罪の罪責を問われる余地があつても、事後強盗の犯罪の成立を是認し得るものではない。
以上の説明に依つて明かな如く、本件については事後強盗の犯罪の成立を是認し得ない以上、その成立を前提とする本件訴因の強盗傷人罪の成立を肯定するに由ないものである。
仍て主文のとおり判決する。
(裁判官 真庭春夫 重富純和 山口民治)